ミュージカル界のトップランナーとして、常に牽引し続けている石丸幹二(いしまるかんじ)さん。
実は、学生のころは歌よりも楽器にのめり込んでいたのを、ご存じでしょうか?
このマニュアルでは、石丸幹二さんの学歴を紹介するとともに、石丸幹二さんが楽器から声楽へ転向した経緯についてお伝えいたします。
また、劇団四季好きの私が、石丸幹二さんの劇団四季時代についても語っていますので、石丸幹二さんの劇団四季時代を知りたい方もぜひ、お読みくださいね。
石丸幹二の学歴がすごい!
石丸幹二さんは6歳でエレクトーンを習い、以降楽器への興味が尽きず、サックスやトロンボーン、チェロにスネアドラムなど、さまざまな楽器に挑戦してきました。
特に中学校時代、ブラスバンド部で担当したサックスには、のめり込んでいったとか。
そんな楽器漬けの石丸幹二さんは、現在、日本を代表するミュージカルスターです。
どこで楽器から自分の声で勝負する世界に転換したのでしょうか?
そのきっかけは、石丸幹二さんの学生時代にありました。
ここでは、石丸幹二さんの学歴を見るとともに、楽器から声楽に転向した経緯について見ていきましょう。
石丸幹二の学歴は?
愛媛県新居浜市で生まれた石丸幹二さんは、4歳の時に父親の転勤で、千葉県市原市に引っ越しています。
【石丸幹二の学歴】
| 小学校 | 不明 |
| 中学校 | 不明(噂では市原市立姉崎中学校) |
| 高校 | 千葉県立幕張西高校普通科音楽コース 卒業 (現:千葉県立幕張総合高等学校) |
| 大学 | 東京音楽大学音楽学部器楽科 中退 東京藝術大学音楽学部声楽科 卒業 |
石丸幹二さんは、小学校5年生で鼓笛隊に入り、運動会でスネアドラムを担当しました。
石丸幹二さんはこの時、「自分たちが演奏することによって選手たちと一体となり、更なる熱いプレー・演奏になっていった感じがした」と言っています。
そして「音楽で誰かの力を湧きあがらせるのが可能なら、これからも色々な音楽を演奏していきたい」と思ったそうです。

小学校の部活で、そこまで熱く思える体験ができたのは、貴重な経験でしたね

「音楽の力で人の思いを動かしたい」と思えたこの経験が、この後の石丸幹二さんの礎となったのではないでしょうか?
続いて入った中学校の吹奏楽部ではサックスを担当し、徐々にオーボエ、コントラバスと手にする楽器が増えています。

ひとつの楽器を弾けるようになるだけでも大変なのに、金管楽器・弦楽器などジャンルの違うものを次々弾けるようになったのって、才能ですよね!

嬉々として楽器に向かう石丸幹二さんの姿が目に浮かびます
音楽漬けの生活を送りたかった石丸幹二さんは、千葉県立の幕張西高校普通学科音楽コース(現:千葉県立幕張総合高等学校)に進学しています。
そしてオーケストラ部に入り、チェロを担当しました。
石丸幹二さんは、音楽に浸った日々を送っているうちに、いつしかクラシックの音楽家になりたいと思うようになり、一番得意だったサックスで、東京音楽大学音楽学部器楽科に進学しています。
しかし、石丸幹二さんは大学3年生の時、突如東京音楽大学音楽学部器楽科を中退し、東京藝術大学音楽学部声楽科に入学しています。

なぜ、楽器に没頭していた石丸幹二さんが、楽器ではなく声楽に転向したのかしら?

すっごく気になりますよね
石丸幹二が楽器から歌に変更した理由は?
石丸幹二さんは、東京音楽大学音楽学部器楽科を3年生の時に中退し、東京藝術大学音楽学部声楽科に入り直しています。
石丸幹二さんが声楽に転向しようと思ったきっかけは、大学2年生の時、テレビでNHKの『芸術劇場』を見ていた時でした。
オペラ歌手のジェシー・ノーマンが、シューベルトの『魔王』を一人4役、声や表情を変えながら歌っている姿に衝撃を受けたのです。声が楽器を超えている、と。
石丸幹二さんはこの時初めて、歌が単なる歌うという行為だけでなく、ストーリー性を持たせることが出来ると気づいたのです。そして、自分も声で表現してみたい!と思ったと言っています。
私もミュージカルを観に行って、圧倒的な歌唱力の前に、目も耳も離せなくなり、瞬きすら忘れているのではないかと思う時があります。
しかし、ジェシー・ノーマンの歌を耳にしたときの石丸幹二さんが受けた衝撃は、恐らくそんな私の比ではないくらいだったのでしょう。
長年のめり込んでいた楽器から鞍替えするくらい、衝撃だったのですから。
当時の石丸幹二さんは大学3年生でした。器楽科から声楽科への編入も考えたけれども、しっかりと時間をかけて勉強した方が良いと決断したそうです。

石丸幹二さんのご両親、突然他の大学に行きたい、と言われて相当驚いたでしょうね。

既に大学に進学して2年修了していますからね。学費問題もあるし、簡単にはOK出せませんよね。
石丸幹二さんはご両親を説得し、なんとか「国立大学ならOK」の了承を得て、猛勉強しました。
そして見事一発で、東京藝術大学音楽学部声楽科に進学しました。

あと2年で大学卒業、のところをまた振り出しに戻すのって、キャリア的に勇気いりますよね。

それを決断できた石丸幹二さんの思い切りの良さは、すごいなと思います。
石丸幹二は若い頃劇団四季で活躍していた!
石丸幹二さんは、東京藝術大学在学中に劇団四季のオーディションを受けて一発合格しています。
劇団四季を受けた理由は、日本語で見ている人にきちんと伝えたかったから。
クラシック音楽は、イタリア語・ドイツ語・フランス語が多いため、日本ではなかなか見ている人にその本質が伝えづらく、石丸幹二さんはもどかしく思っていたそうです。
ところが石丸幹二さん、実はミュージカルにまったく縁がなく、『キャッツ』も『オペラ座の怪人』も知らなかったそうです。
劇団四季の実技後の面接では、当時劇団四季主催者の浅利慶太さんに「劇団四季を知っているか」と聞かれて「会社四季報は知っています」と答えたほど、石丸幹二さんは何も知らずにミュージカルの世界に飛び込んだのです。
そんな石丸幹二さんですが、劇団四季では「超」がつくほど売れっ子俳優になりました。
ここでは、劇団四季時代の石丸幹二さんの舞台を何回も見ている私の感想も含め、いろいろ紹介していきますね。
石丸幹二の劇団四季時代の出演作は?
石丸幹二さんは、劇団四季に1990年から2007年の17年間在籍していました。
その間出演した作品は、なんと22作品!そのどれもが、主役級の重要な役どころです。
| 作品 | 役名 |
| オペラ座の怪人 | ラウル・シャニュイ子爵 |
| エルリックコスモスの239時間 | ジョージ |
| アスペクツ オブ ラブ | アレックス |
| ジョン万次郎の夢 | ジョン万次郎 |
| CATS | スキンブルシャンクス |
| 思い出を売る男 | 思い出を売る男 |
| ひばり | シャルル七世 |
| ドリーミング | 犬のチロー |
| アンデルセン | ハンス |
| ウェストサイド物語 | トニー |
| 美女と野獣 | ビースト |
| イリヤ・ダーリン―日曜はダメよ! | ホーマー |
| ユリディス | オルフェ |
| 劇団四季ソング&ダンス | |
| 壁抜け男―恋するモンマルトル | デュティユル |
| ラ・ソバージュ | フローラン |
| ハムレット | ハムレット |
| 異国の丘 | 九重秀 |
| オンディーヌ | 騎士ハンス |
| この生命は誰のもの | 早田健 |
| 鹿鳴館 | 清原永之輔 |
| ブラックコメディ | ブリンズリー・ミラー |
私が石丸幹二さんの出演作品の中で最も驚くいたのは、石丸幹二さんのデビュー作が『オペラ座の怪人』のラウル子爵という点です。
普通はアンサンブルなどの役から、主役級の役に昇っていくのにいきなり主役級ですよ!
しかも劇団四季の『オペラ座の怪人』は、歌唱力・演技力・表現力が三拍子でうまくないと出演できない、高難度な作品と言われています。
レベルの高い役者がそろう劇団四季の中で、このラウル子爵役を射止めて、ミュージカルデビューをした石丸幹二さんの実力のすごさがわかるエピソードですよね。
私は「劇団四季」好きなため、何度も石丸幹二さんの舞台を観ています。
石丸幹二さんの名前がキャスト表にあったときは、小躍りしたのを覚えています。
私は特に石丸幹二さんの大ファンだったわけではありません。それでも、石丸幹二さんの歌の上手さの安定感には、毎回ほれぼれしていました。

石丸幹二さん出演の日は「石丸さんかぁ。安心だな。」と安堵して舞台を観ていました。
私は、石丸幹二さんの劇団四季出演作22作品すべてを観たわけではありません。
実は石丸幹二さんの『キャッツ』のスキンブルシャンクスを観てみたかったのですが、場所が大阪、しかも出演されていた期間が短かったので、それは叶いませんでした。
石丸幹二さん、『キャッツ』出演中に舞台から転落してしまい、以降『キャッツ』に出演していないんです。
私が観た石丸幹二さんの劇団四季作品では、やはり『オペラ座の怪人』ラウル子爵が一番お似合いでした。歌も聞かせるし、あの佇まいが本当に子爵っぽくてピッタリだったんですよ。
顔も品があって貴族っぽく、ファントムを悪とする真っすぐさが、クリスティーヌを想う誠実さがあふれていました。
この時石丸幹二さんは、「ミュージカル界の貴公子」と呼ばれていましたが、私の中では
石丸幹事=ミュージカル界の貴公子=ラウル子爵
の図式になっているほど、石丸幹二さんの代表作は『オペラ座の怪人』ラウル子爵となっていました。
他にも『壁抜け男』『思い出を売る男』『美女と野獣』『異国の丘』の石丸幹二さんは、とても記憶に残っています。
石丸幹二さんは、華やか・派手な舞台、というよりもしっとりとした感じで、歌を聴かせる舞台がお似合いでしたね。
「劇団四季の『オペラ座の怪人』ってどういうミュージカル?」
と思ったあなたは、ぜひこちらのマニュアルをお読みくださいね。

石丸幹二の劇団四季退団理由は?
石丸幹二さんは、健康上の問題で劇団四季を2007年に退団しています。
25歳から劇団四季の舞台に立ち続けた石丸幹二さんでしたが、40歳を過ぎたころからケガしてもすぐに治らないなど、40歳の壁を感じるようになったそうです。
そして限界が来たのが石丸幹二さん、42歳のときでした。
稽古中に背中に激痛が走り、首が動かなくなったそうです。
そして稽古を休んだ結果、良くなるどころか、長年蓄積されていった疲労が一気に放出されたかのように、身体の故障が出て歩くことすら困難になったのです。
無理がきていたのは、身体だけではありませんでした。
常にメインキャストであり続けるための重圧感によって、心が疲弊していたのです。
この心身の状態で舞台に立つのは無理だと思った石丸幹二さんは、リセットしようと決心しました。「舞台をやりながら心身の回復はまず無理だ」との思いから、劇団四季を退団する決断をしたのです。

常にトップで走り続けるのには、相当なプレッシャーがあったことでしょう。

作品至上主義の劇団四季です。看板俳優であっても優遇されることはないので、石丸幹二さんは17年間、気の抜けない日々を過ごされていたのでしょうね。
石丸幹二の兄弟や父親は?家族構成をご紹介
石丸幹二さんの家族は、父親・母親・石丸幹二さんの三人家族です。
石丸幹二さんは兄弟がおらず、一人っ子です。
よく「俳優の石丸謙二郎さんと兄弟では?」と思う方もいるようですが、石丸幹二さんと石丸謙二郎さんは、名字が同じだけで、血縁関係はありません。
石丸幹二さんの父親は、愛媛県旧東予市(現西条市)出身で住友化学に勤めていた一般の方です。
理系人間で、石丸幹二さんとは真逆の思考の持ち主だと、石丸幹二さんご自身が話していました。石丸幹二さんの母親は、香川県出身だとわかっていますが、その他についてはわかりません。
ただ、石丸幹二さんにエレクトーンやピアノを習うように言ったのは、ご両親だったそうです。
そうなると「石丸幹二さんのご家族は音楽一家なのか?」と思いますが、音楽一家でもなければ、音楽に造詣が深いわけでもなかったそうです。
ただ家に立派なステレオがあり、石丸幹二さんが4,5歳くらいの頃から、それで音楽を聴くようになったそうです。
小学校に入ったころには、帰宅するとおやつを食べながら毎日違うレコードを聴いていた、というのですから、シャレたお子さんでしたね、石丸幹二さんは。
そして、ご両親が与えたエレクトーン。石丸幹二さんは、スイッチひとつでさまざまな音が出るエレクトーンを、楽器というより面白いオモチャだと思ったそうです。

想像できます。興味津々に色々な音を出して遊んでいる石丸幹二さん。
私もエレクトーンを4歳の頃から習っていたのでわかりますが、恐らく石丸幹二さんが使用していたエレクトーンは、レバー式だったと思います。
レバーを押し下げていろいろな音を出していく、単音だけでなく、レバーの組み合わせで、ピアノにチェロが合わさった音が出たり、フルートにバイオリンの音を重ねたりと、何通りもの音が作れたので興味が尽きなかったことでしょう。
私も似たような環境にはありました。4歳からエレクトーンを習い、家には立派なステレオがあったのですが、毎日自分から音楽を聴くようにはなりませんでしたね。

やはり天性の素質、というものがあるのでしょうね。
石丸幹二さんのご家族は、音楽一家ではなかったものの、幼少期よりステレオにエレクトーンがある環境により、十分音楽に触れる機会がありました。
現在の石丸幹二さんを作り上げるには、十分な礎だったのでしょう。
石丸幹二は結婚している?
石丸幹二さんは現在60歳(2026年誕生日時点)ですが、実は結婚していないんですよね。
「ミュージカル界の第一線で活躍し続けていたので忙しくて結婚しなかったのかな?」
などいろいろ想像できますが、実のところ、石丸幹二さんの破天荒(?)な性格も結婚していない一要因であることがわかりました!
放浪癖があり、とにかく自由を愛する石丸幹二さん、知れば知るほど「結婚向きではないな~」と思ってしまいます。
詳しくはこちらのマニュアルをご一読くださいね。

石丸幹二さんが結婚しない理由だけでなく、舞台からは想像ができない性格であることがわかります!

そのギャップをあなたは受け入れられますか???
石丸幹二の学歴変更は大成功!
石丸幹二さんは、幼少期より楽器に親しみ、小学校・中学校・高校・大学と、どんどん楽器にのめり込んでいきました。
しかし、東京音楽大学在学中に運命を変える声・ジェシー・ノーマンの歌声を耳にし、大きく自身の進路を変えました。
楽器から自身の声への転向。
そのため石丸幹二さんは、学歴を東京音楽大学音楽学部器楽科から東京藝術大学音楽学部声楽科へ変更しています。
この学歴転向は、現在の石丸幹二さんを見れば一目瞭然、大成功だったと言って間違いないでしょう。
東京藝術大学在学中に劇団四季のオーディションに受かり、難易度の高いミュージカル『オペラ座の怪人』で見事、ラウル子爵役をゲットしました。
以来17年間、体調を崩すまで石丸幹二さんは劇団四季の看板俳優として、第一線でずっと走り続けてきました。
ジェシー・ノーマンの歌声を耳にした時、声楽に転向するという英断をした石丸幹二さんには、感謝しかありません。そのおかげで、何度心地よいテノールに酔いしれたことでしょうか。
今は体調も戻られ、歌だけでなくドラマや司会など、マルチに活躍している石丸幹二さんです。
それでもやはり、石丸幹二さんの最大の魅力は歌にあると私は思っています。
これからもミュージカル界を牽引していくスターとして、未来永劫活躍していってほしいな、と思います。
ミュージカル界で活躍している俳優・飯田洋輔さんをご存じですか?
飯田洋輔さんも、劇団四季で活躍した俳優さんなんですよ。

飯田洋輔さんも劇団四季在団中は『オペラ座の怪人』に出演していた、歌ウマ俳優さんです。
飯田洋輔さんの場合は、ファントム役でしたけれどね。
劇団四季退団理由が『レ・ミゼラブル』だというのですから、驚きではありませんか?
詳しくは、上記マニュアルをご覧くださいね。

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